50歳 原点回帰
- JIROKEN

- 2 日前
- 読了時間: 3分

秩父木の家専門店。
夫婦で営むJIROKEN工務店の土屋賢次郎です。
先日、高校時代の仲間たちが、秩父まで遊びに来てくれました。
今、みんなが生きている場所は、驚くほどバラバラです。
フィラデルフィア、西表島、高知、島根、名古屋。
同じ埼玉の学校に通っていたのに、今も埼玉に残っているのは、なぜか僕ひとり。
久しぶりに顔を合わせた瞬間、お互いに「老けたな」なんて笑いながらも、心の距離だけは、あの頃のままでした。
年は50歳。
でも、話している内容は、不思議と昔と変わらない。
みんな、今もそれぞれの場所で、自分の人生をちゃんと生きていました。
それが、胸にくるほど、かっこよかった。
正直に言うと、高校時代の僕は、あまり“いい顔”をして生きていませんでした。
何をしても心が動かない。
大人は信用できない。
世の中は、どうせ...。
そんな風に、自分の心に、ずっと壁をつくって生きていました。
周りが前を向いて歩いているのに、僕だけが、立ち止まって、腕を組んで、斜めから世の中を睨んでいた気がします。
そんな時 修学旅行でキャンプに行くことに。
行き先は、西表島。
当時 テレビの電波もろくに入らない島で、夜になると、真っ暗な空に、信じられないほどの星が浮かんでいました。
焚き火の音だけが、静かな夜に、ぱちぱちと響く。
そこで、みんなで、取り留めのない話を、ずっとしていました。
将来のこと。夢のこと。不安のこと。
「俺、ギタリストになる。」
「俺、何したいか分からないから、とりあえずアメリカ行く。」
今思えば、とても無責任で、とても不器用で、でも、やけにまっすぐな言葉でした。
内容なんて、ほとんど覚えていません。
それでも、あの夜の空気だけは、今でも、胸の奥に、はっきり残っています。
その夜、僕は、初めて「前を向くって、こういうことなんだ」と思いました。
完璧な夢なんてなくていい。
立派な目標じゃなくていい。
ただ、自分の人生を、誰かのせいにしないで生きてみよう。
そんな気持ちが、心の奥に芽生えました。
あの焚き火の前で、僕は、少しだけ、自分の人生を生き始めた気がします。
それから何十年。
家族を持ち、仕事を持ち、秩父で家をつくる仕事をしている今。
気づけば僕は、あの夜に感じた
“安心できる居場所”
を、形にする仕事をしていました。
自然の中で、肩の力を抜いて、「自分に戻れる場所」。
私の家づくりは、もしかしたら、あの夜の焚き火の続きを、今もやっているだけなのかもしれません。
50歳になって、あの頃の仲間たちと再会して、僕はもう一度、原点に戻りました。
人は、どんな場所にいても、何歳になっても、“どう生きたいか”を選び続けられる。
みんなの背中を見て、そう教えられた一日でした。
ありがとう。
あの夜の焚き火と、あの頃の仲間たちへ。
そして、これからも、“帰りたくなる居場所”をつくり続けます。



コメント